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星界の道~航海中!~

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平成23年・登用試験

【登用試験問題】 

出題範囲「折伏理論解説書」。□□に記入の「正解」は下段に掲載されているが、採点においては「同義語」も配慮されるとのことである。

問一 次文の□□を埋めなさい。

  日蓮大聖人は末法の一切衆生を(1)に成さしめんと(2)悲を起こされ、御自身が証得された生命の極理たる一念(3)の南無妙法蓮華経を(4)の(5)に顕わされ、全人類に授(6)し給うた。ゆえに「一念(7)を識らざる者には仏(8)を起こし、(9)の内に此の珠を裹み、(10)幼稚の頸に懸けさしめ給う」
  「日蓮が(11)を墨にそめながして書きて候ぞ、(12)じさせ給え。乃至、日蓮が(13)は(14)にすぎたるはなし」等と仰せられている。
  我ら凡夫は、ただこの御本尊を(15)じて南無妙法蓮華経と(16)え奉れば、御本尊の(17)・(18)により自然と成仏させて頂ける。これが(19)心口(20)の功徳である。
  ちなみに三大秘法とは、本門の(21)と本門(22)と本門の(23)である。このうち本門の(24)は前述の(25)心口(26)であり、個人が成仏させて頂く秘法である。また本門の(27)とは国家・国土を(28)せしむる秘術で、これが(29)戒壇の建立である。
 そして本門の(30)も本門の(31)も、共に本門の(32)の功徳・妙(33)を本としているゆえに、(34)の(35)を三大秘法(36)の本尊と申し上げるのである。

問二 生命の永遠について述べた 次文の□□を埋めなさい。

  生命は永遠であり、死によって(1)じするものではない。(2)という現象は、生命が常住していく上での(3)形態の変化にすぎない。
 すなわち生命は(4)を繰り返しながら、宇宙と共に(5)しているのである。
  そして幸・不幸の(6)果も、(7)にわたって鎖のごとくつながっている。ゆえに開目抄には
「過去の(8)を知らんと欲せば、其の現在の(9)を見よ。未来の(10)を知らんと欲せば、其の現在の(11)を見よ」とある。
  もし生命の永遠を知り三世の(12)を知れば、人として最も恐るべきは死後の(13)であり、最も願うべきは一生(14)である。そして(15)も成(16)も臨終の相にそれが現われる。
 されば臨終こそ人生の最(17)である。ゆえに大聖人は「先ず(18)の事を習うて後に(19)を習うべし」と仰せられる。
  一生成仏を遂げさせて頂けば、生々世々、日蓮大聖人・御本尊と離れることはない。ゆえに
 「在々諸のに(20)に、常に(21)と倶に生ぜん」
 「(22)の生死・(23)の生死・(24)の生死、三世の(25)に法華経を(26)れ切れざるを、法華の(279相承とは云うなり」と。
  御本尊を一筋に信ずる者は、現(28)には宿命を転換して幸福になり、臨終には(29)の相を現じ、生々世々に日蓮大聖人と離れることなく自利(30)の楽しく崇高なる人生を永劫に繰り返すことができる。これを永(31)に崩れぬ幸福、成仏の境界というのである。
  まさに仏法こそ現世(32)・(33)善処の生活法なのである。

問三 勤行における正行・助行について述べた 次文の□□を埋めなさい。

 勤行において方便・寿量の商品を読誦するのは(1)であり、唱題は(2)である。これを食事に讐えれば、唱題は(3)、両品読誦は(4)の味を助ける(5)に当る。ゆえに日寛上人は「塩酢の米麺の(6)を助くるが如し」と。
 方便・寿量の両品を文底の意に約してこれを見れば、御本尊の甚深の功徳を(7)け(8)わしている。ゆえに勤行においては、釈尊の(9)経として読むのではなく、大御本尊の功徳を讃(10)している経文として読誦するのである。
 そして助行の中にも(11)と(12)がある。方便品は(13)であり、寿量品は(14)である。これ御本尊の功徳を(15)するにおいて、方便品は(16)く、寿景品は(17)くこれを(18)しているゆえである。
 次に正行たる唱題こそ勤行の肝要である。
御本尊を(19)じ南無妙法蓮華経と(20)え奉る修行により、我ら凡夫がそのまま成仏させて頂ける。このことを大聖人は
「信心(21)にして唯(22)無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば、凡身即(23)なり」と仰せられている。
 凡夫はともすれば、生活の(24)しい時には苦に流されて勤行を忘れ、(25)になればなったで油断を生じて勤行にゆるみを生ずるが、四条抄には
 「苦をば(26)とさとり、楽をば(27)とひらき、(28)ともに(29)い(30)せて南無妙法蓮華経とうち唱え居させ給へ。これあに自受(31)にあらずや」と御指南下されている。このように苦しい時も楽しい時も、(32)を乗り越えて勤行に励むところに一生成仏がある。

問四 次文の口口を埋めなさい。

  釈尊は(1)年にわたって種々の経々を説かれたが、前(2)年は未だ真(3)を顕わさぬ(4)便の経々を説き、後(5)年において始めて真(6)の(7)経を説いた。このことは無量義経の「(8)余年には未だ真(9)を顕わさず」また法華経の「正直に(10)便を捨てて但だ無上道を説く」の経文に明らかである。
  よって法華経が説かれた後は、(11)余年の経々は(12)てなけれぱいけない。たとえば蔵を建てるのに(13)を組むが、蔵が建ったのちには(14)を取り除くのと同じである。しかるに念(15)・真(16)・禅・律等の諸宗は、ことごとく四十余年の(17)便の軽々に執着して釈尊出世の本懐たる(18)経に背いているから、諸派の邪宗というのである。
 しかしこの(20)経も、釈尊在世の衆生にとっての(21)益の教法であって、末法には利益がない。末法においては、ただ(22)経の本門(23)品の(24)に秘沈された、日蓮大聖人ご弘通の下(25)の南無妙法蓮華経以外に成仏の法はない。
ゆえに「在世の本門と(26)の初は一同に鈍(27)なり。但し彼は(28)、此れは(29)なり。彼は一品二半、此れは但だ(30)の五字なり」(観心本尊抄)
  「今末法に入りぬれば(31)経も(32)経も詮なし。但だ南無妙法蓮華軽なるべし」(上野抄)と仰せられるのである。

問五 次文の□□を埋めなさい。

  日蓮大聖人は建長(1)年(2)月(3)日の立宗から(4)年に当る弘安(5)年(6)月(7)日に、出世の本懐たる(8)の(9)を建立あそばされた。
 出世の本懐成就の機縁となったのは、(10)の法難である。神(11)・弥(12)・弥(13)を首とする法華講衆は、平(14)の責めにも怖じず、日蓮大聖人を信じ奉る(15)身命を貰き、ついに三人は頸を刎ねられた。この(16)身命の振舞いをなし得たのは、ただ大聖大の(17)王心に同心し奉ったゆえであり
「(18)王は百獣に怖ぢず、(19)の子又かくの如し」とはこのことである。
 名もなき農民が、集団として、大聖人の(20)王心に同心し奉ったこの(21)同心こそ、未来(22)流布の瑞相であり、(23)建立の先序である。ここにおいて大聖人は、(24)等法華講衆を(25)とされ、(26)の(27)を建立あそばされたのである。
 この大御本尊は、末法の全人類に(28)じて授(29)し給うたもので、広宣流布の暁には(30)戒壇に奉安される。この大御本尊こそ久遠(31)の(32)身たる日蓮大聖人の御(33)体であられる。
 この大御本尊が(34)戒壇に奉安されれば、日本国の(35)は御本仏日蓮大聖人となり、このとき日本は始めて(36)国となるのである。

問六 御遺命について述べた次文の□□を埋めなさい。

  日蓮大聖人の御遺命とは、(1)の暁に、(2)の表明を以て、富士山(3)に建立される(4)戒壇である。
 このことは一期弘法付嘱書と三大秘法抄、および歴代先師上人の御指南に明々白々である。
  ゆえに細井日違管長も
 「富士山に(5)戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の(6)である」といい
  池田大作も
  「(7)戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の(8)の(9)であり、また(10)の唯一の(11)なのであります」と主張していた。
 ところが政治野心に燃える池田大作は、(12)戒壇が世間に抵抗を受け選挙に不利と見るや、(13)戒壇を放棄して、俄に建てた偽戒壇(14)を「御遺命の戒壇」と偽った。そして発願式において
 「夫れ(15)は末法(16)の戒壇にして、宗門究竟の誓(17)之に過ぐるはなく、将又(18)三手余年史上(19)の偉業なとと宣言した。
  この御遺命破壊を見て顕正会は(20)暁に立ち上がった。すると細井(21)・阿部(22)の両貫首は、あるいは(23)流布の定義を変え、あるいは(24)の戒壇の定義を変え、あるいは「勅官・御教書」を(25)などと歪曲して、正本堂を御遺命の戒壇とする池田大作のたばかりを助けた。
  だが大聖人はこの大悪を許し給わず、諸天をして(28)を崩壊せしめ給うた。しかし宗門・学会ともに未だ改悔なく、頑なに(27)戒壇を否定し続けている。
  仏法は(28)、世間は(29)であれば、正系門家のこの御遺命違背こそ、日本の亡(30)をもたらすものである。

問七 次文の□□を埋めなさい。

  顕正会は平成九年に「日蓮大聖人に(1)しなければ(2)は必ず亡ぶ」の一書を以て(3)に立つに当って、それまで(4)を冠していたのを、(5)顕正会と改めた。
  その故は、すでに(6)は(7)建立の御(8)を放棄してしまった。また学会との醜い(9)で国中の嘲りを受けている。どうしてこの宗名を冠して(10)ができようか。よって日蓮正宗の(11)流たる(12)上人・(13)上人の清き流れを表わす(14)を冠して立ったのである。
 ちなみに正系門家が(15)の宗名を用いたのは、(16)年以降のわずか八十数年にすぎない。そしてこの間に、僧侶の(17)、職業化など信心の堕落が始まり、今日に至ったのである。
 「すべからく清らかな(18)流に還るべし。
信心は御(19)に、教学は(20)上人に立ち還るべし」この思いから、(21)顕正会と名乗ったのである。

【登用試験正解】

問一 (1)仏 (2)大慈 (3)三千 (4)本門戒壇 (5)大御本尊 (6)与 (7)三千 (8)大慈悲 (9)五字 (10)末代 (H)魂 (12)信 (13)魂 (14)南無妙法蓮華経 (15) 信 (16)唱 (17)仏力 (18)法力 (19)信 (20)唱 (21)本尊 (22)題目 (23)戒壇 (24)題目 (25)信 (26)唱 (27)戒壇 (28) 成仏 (29)国立 (30)題目 (31)戒壇 (32) 本尊 (33)用 (34)本門戒壇 (35)大御本尊 (36)総在

問二 (1)消滅 (2)生死 (3)存在 (4) 生死 (5)常住 (6)因 (7)三世 (8) 因 (9)果 (10)果 (11)因 (12)因果 (13)堕 (14)成仏 (15)堕 (16)仏 (17) 大事 (18)臨終 (19)他事 (20)仏土 (21) 師 (22)過去 (23)現在 (24)未来 (25) 生死 (26)離 (27)血脈 (28)世 (29)成仏 (30)利他 (31)遠 (32)安穏(33)後生

問三 (1)助行 (2)正行 (3)主食 (4)主食 (5)調味科 (6)味 (7)助 (8) 顕 (9)法華 (10)嘆 (n)傍 (12)正 (13)傍 (14)正 (15)助顕 (16)遠 (17) 近 (18)助顔 (19)信 (20)唱 (21)強盛 (22)余念 (23)仏身 (24)苦 (25)楽(26)苦 (27)楽 (28)苦楽 (29)思 (30) 合 (31)法楽 (32)苦楽

間四 (1)五十 (2)四十二 (3)実 (4) 方 (5)八 (6)実 (7)法華 (8)四十 (9)実 (10)方 (11)四十 (19)捨(13)足場 (14)足場 (15)仏 (16)言 (17) 方 (18)法華 (19)法 (20)法華 (21)脱 (22)法華 (23)寿量 (24)文底 (25)種 (26)末法 (27)円 (28)脱 (29)種 (30) 題目 (31)余 (32)法華

問五 (1)五 (2)四 (3)二十八 (4)二十七 (5)二 (6)十 (7)十二 (8)本門戒壇 (9)大御本尊 (10)熱原 (H)四郎 (12)五郎 (13)六郎 (14)左衛門 (15) 不惜 (16)不惜 (17)師子 (18)師子 (19) 師子(20)節子(21)異体(22)広宣(23)国立戒壇 (24)神四郎 (25)願主 (26)本門戒壇 (27)大御本尊 (28)総 (29)与 (30)本門 (31)元初 (32)自受用 (33)当 (34)国立 (35)魂 (36)仏

問六 (1)広宣流布 (2)国家意志 (3)天生原 (4)国立 (5)国立 (6)使命 (7) 国立 (8)日蓮正宗 (9)宿願 (10)創価学会 (11)大目的 (12)国立 (13)国立(14)正本堂 (15)正本堂 (16)事 (一17)願 (18)仏教 (19)空前 (20)諫 (21)日達 (22)日顕 (23)広宣 (24)事(25)建築許可証 (26)正本堂 (27)国立 (28)体 (29) 影 (30)国

問七 (1)帰依 (2)日本 (3)一国諌暁 (4)日蓮正宗 (5) 冨士大石寺 (6)日蓮正宗 (7)国立戒壇 (8)遺命 (9)抗争 (10)一国諌暁 (11)源 (12)日興 (13) 日目 (14)冨士大石寺 (15)日蓮正宗 (16) 大正元 (17)妻帯 (18)源 (19)在世 (20) 日寛 (21)冨士大石寺


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